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About 釣音波(chowonpa)

2018年設立。普段はフリーランスウェブデザイナーとして働くマノシが主催する釣りブランド。ブラックバスを釣るためのハンドメイドルアーを中心に、釣りを楽しむ為の商品やサービスを展開していきます。

釣音波(ちょうおんぱ)という名前の中にあるように、釣りの世界では音や波という要素は、魚を釣るための要素だと想っており、ルアーが発する音や、ルアーが出す波に拘ったルアー作りをしていきたいと思います。

釣音波(ちょうおんぱ)という名前について

釣音波(ちょうおんぱ)という名前は、ブランド設立時にブランド名をどうしようか悩んでいた時に、当時大好きだったバンド、サカナクションの事を考えていたら浮かんできた名前です。

サカナクションのリーダーである山口一郎さんは釣りが好きで、曲のタイトルや歌詞、ミュージックビデオにも釣りに関する事や映像が出てきます。ここまで釣り好きなミュージシャンもあまり見た事ないし、サカナクションの事を色々調べているうちに、音楽についてもっと知りたいと思い、DJスクールに通ったり、作曲の勉強をしました。

僕自身、昔からラジオ好きだったこともあり、釣音波という名前がこれから自分が釣りブランドをやっていく上で、ぴったりな名前だと思いました。

まとめると、サカナクション好きの僕、マノシがハンドメイドルアーや商品を発信していく為の釣りブランドです。

余談ですが、実は私、ホーリーダンスという曲のミュージックビデオに映ってたりしますw。気になる方は探してみて下さい。3:21秒あたり。サカナクションが好きすぎてファンクラブに入り、ファンクラブのメンバー宛にミュージックビデオ出演の抽選で奇跡的に当たったのです。この時のことは、わすーれらーれないよ〜♪

About マノシ(manoshi)

1983年生まれ。愛知県出身。

3歳の時に祖父に連れられて釣りを始める(母情報)。主に近くの漁港や運河でのエサ釣り。一番古い記憶は家族と漁港でのサビキ釣り。鯖やキンカ(サッパ)を釣っていました。

小学校2年生の頃、釣り番組「The Fishing」か「釣りロマンを求めて」で、バス釣りの事を知り、バス釣りを始める。友達と一緒に地元の野池に行くがなかなか釣れなくて、人生初のバスが釣れるまで約1年かかりました。サイズはたしか7cm、ルアーでは無く、ねり餌の九ちゃんでした笑。

それから同じ野池でスライダーのクラッピーワームで小バスの入れ食いを経験しバス釣りにハマる。

中学1年か2年で釣り雑誌でトップウォーターブランド、道楽さんのルアー、チンチンやクルクルチンチンでバスが釣れるという事を知り、衝撃を受けトップウォーターの釣りに興味を持つ。

近所の釣具屋さんで道楽さんのルアーを見つけたが高価で変えず、変えないなら自分で作ろうと自分でルアーを作りはじめる。「ハンドメイドルアーの世界」で勉強し、学校の図工室の電動糸鋸を借りて木を削っていました。

中学3年生の夏、自分で作ったハンドメイドルアーで初めてバスを釣る。

初めてバスを釣ったハンドメイドルアー。かなり大きめのウェイトが入っていて盛り上がっている。昔からパーツが無いと他のルアーから外して使う性格なのでパーツやフックは無い。腹部に赤い鱗模様、大きな目、背中にはシルバー、、なかなか面白いカラーリング。

あの時の感動は今でも昨日のことのように思い出します。小規模の野池でのおかっぱり。足元に落としたら着水後すぐにバイト。たしか30cmくらい。スマホやカメラを持っていなかったので魚の写真は無い、、

同時期にバストーナメントにも興味を持ち、バスプロになる事を夢見て高校1年生でNBC愛知チャプターに参戦。初戦は琵琶湖の横の西湖。初めて行くフィールドで、お金もなくてプラクティスも無し。現地まで親に連れてってもらいました。

知らないフィールドで雪も降ってきて、ワームパックも開けないほどの寒さ。残念ながらノーフィッシュでした。他の人が釣ってきたデカバスが印象的でした。恥ずかしながらルールもよく理解していなくて帰着報告をせずに帰ってしまい失格、本部の方から電話で怒られました。どうやら僕のことを探してくれていたようです。。関係者の皆様、当時はご迷惑をおかけしてしまい申し訳ございませんでした。

真夏に琵琶湖での大会に出た時には初めてバスボートに乗せてもらっての参加しました。NBNFでしたが色々新鮮で刺激的でしたが、結構これで心が折れてしまいこの琵琶湖戦がNBCで参戦した最後の試合でした。

でもなぜかバスプロへの夢は諦めきれず、アメリカのバストーナメントで優勝して世界一のバスプロになる夢を追いかけるために、英語を勉強しアメリカに行くと心に決めていました。ただ、高校3年の時、9.11のテロ事件が起き、アメリカへの留学を諦め、色々あって2002年にカナダのカルガリーに留学しました。カルガリーにはバスは生息しておらず、ダムでパイクを釣ったりしていました。

2003年にはカルガリーからビクトリアに引っ越し、アクセサリー作家の友達の影響で、現地のフリーマーケットでハンドメイドルアーを販売していました。